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作品から教わる偏見


ドラマ『リーガルハイ』ご覧になってますか?とても面白いです。
(シーズン1の方が面白いかな、という気はしますが・・・。)
そして勉強になります。私はシーズン1も観ていて、その中で、

「正義はどこにあるんですか!?」という質問に対して、主人公・古美門先生が

「神でもない我々にそんなこと分かるはずもない。
正義は特撮ものと少年ジャンプの中にしかないものと思え。
自らの依頼人の利益のためだけに全力を尽くして戦う。
我々弁護士に出来るのはそれだけであり、それ以上のことをするべきでもない。」

というセリフがあります。私はこのセリフが好きです。
この「神でもないのに」というのは、今回のシーズ2でも言っています。

このセリフをホメオパシーに置き換えると、

「神でもない我々に目に見えない内部で起きていることなど分かるはずもない。
自らのクライアントを健康にするためだけに症状を観察し、レメディを全力を尽くして探す。
我々ホメオパスに出来るのはそれだけであり、それ以上のことをするべきでもない。」

ということでしょうか。


『リーガルハイ』では、古美門先生と対峙する黛先生や羽生先生が自分の中の勝手な「正義」や「愛」を振りかざして行動します。自分が正しいという思い込み。実はとても傲慢です。

古美門先生は傲慢ということですが、本当は誰が傲慢なのだろうか?と思います。
実はみんな傲慢なのだと思います。服部さんという謎の事務員以外・・・。
(服部さんは実際にはこんな人いないだろうという神様のような人です。)
それだけ人は未熟で偏見だらけということなのだと思います。

このドラマは、物事は見方を変えると違う景色が見える、ということを社会問題を織り交ぜながらコミカルにシニカルに見せてくれます。

一昨日の放送でも
「人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じるのです。」
と古美門先生が言っていましたが、本当にそうですよね。


大学時代に、イギリス人作家ジェーン・オースティンの著作『高慢と偏見』(原題:Pride and Prejudice)の研究をしていたのですが、この作品も登場人物が偏見だらけです。
人を見る目に自信のある主人公の女性が、初めは最悪な印象だった男性が最後には彼女にとって最高の人物に変わります。そして、初めは最高な印象だった男性が最後には最悪の男性に変わります。

こういうことが起こるのは、彼女に「私には人を見る目がある」という高慢さと、「こういう身分、態度、言葉で接する人はこういう人」という偏見があったからだと思います。
この作品の面白いところは、主人公だけでなく、相手の男性にも同様に高慢さと偏見があるところです。そして、よくよく読むと、登場人物みんなが実は高慢さと偏見があることに気付きます。


映画『十二人の怒れる男』も、陪審員12人中11人が有罪と主張した少年を1人の陪審員が無罪と主張したところから話は展開し、最後には全員が無罪と主張する結末になります。
はじめに有罪と主張した11人には、先入観や思い込みがあり、自分の置かれた立場や環境などを投影させていました。

「個人的な偏見を変えるのは難しい。しかし、偏見は真実を曇らせる。」と映画の中のセリフにあります。

物事を捉える時、ある一つの視点からしか観ていなかったりします。物事を多方向から見ることで、出来る限り自分の中の先入観や思い込み、偏見をなくすことが大切ということですね。
そのためにはやはりホメオパス自身が健康でないといけないなぁと思います。

「偏見にとらわれない観察者」
これは、ホメオパシーの創始者・ハーネマンがホメオパスに求められることとして挙げています。言葉はシンプルですが、これは難しく重要なことだと改めて思います。

 


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