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柿沼康二さんの「書」とホメオパシー

書家の柿沼康二さん、少し前にテレビで拝見して初めて知りました。
「書」はアートたるか?ということを中心に語られていて、弘法大師の臨書の話など、とても興味深かったです。
作品は平面・2Dだけれども、書く時は立体・3Dの世界。
アーティストは世捨て人のようなところがあると思う、とおっしゃっていました。
今、WEB版・日本経済新聞でコラムが連載されていて、こちらを読むとより書の奥深さ、魅力が伝わってきます。
▼柿沼康二のダイレクトメッセージ
http://www.nikkei.com/life/column/page/?uah=DF161120129855


読んで初めて「書道」と「書」の違いを知りました。
私も小学校の5年間、習字に通っていましたが、完全に「書」ではなく「書道」でした。
つまり、「立体」の世界ではなく「平面」の世界でした。
書道は集中力みたいなものは養われるかもしれませんが、正しいとされる手本があって、それをはみ出すと朱墨で訂正される。
考えてみれば、それはその人の個性、自由、表現というものをなくしてしまっている。
もっと言うと、否定してしまっていることにもなるよなぁと思いました。

コラムの中で特に印象に残った文章を引用すると、

「書き手の手癖、呼吸、様式、美意識など独自の指向や心理を読み解くべく、
文字の中のミクロとマクロの世界を旅しつつ、
一方では古典の全体像もつかまなければならない。
第一級の臨書には異常なまでの集中(微視)、俯瞰(巨視)が同時に必要とされる。」

これはホメオパシーとどこか通じるものがあり、
セッションにおいても必要とされることなんじゃないかと思いました。

能筆家が書き遺した古典は書の世界のバイブル。
臨書の先にある意臨では、気が遠くなるくらい時間をかけて古筆に何千回、何万回と向き合うそうです。
ホメオパシーの世界ではハーネマンが書き遺したオルガノンがバイブル。
オルガノンを何度も読んで、様々な要素を立体的に多角的に模索することが必要なのだと改めて思いました。
『Organon of the Medical Art』のジェレミー・シェアの序文で、オルガノンは「深い所に眠っている宝石箱」「良いワイン」というような素敵な表現を使われていたことが頭をよぎります。
最初の50年間は年に2回、50年以降は年に1回は読め、ということも書かれていました。

柿沼康二さんの個展が来年2月に阪急うめだで開催されるので、
書の奥深さ、柿沼さんの世界観に直接触れてこようと思います。
何を感じるのか楽しみです。

 


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